2012年9月27日木曜日
7年後のW杯の希望。竹中と松島(ラグビー)
ラグビー場にこだまする雄叫び。
フランスの精鋭軍を相手に「竹中祥」は爆走。火の玉と化した竹中は、80m独走の鮮烈トライを決めた。
「アイツが南アフリカで頑張っているから…」
竹中の言う「アイツ」とは、高校の同級生「松島幸太朗」。2人は、高校の桐蔭学園時代、花園で全国優勝を果たしている。竹中が95mを走り切る豪快なトライを決めれば、松島は相手に指一本も触れさせずに、100mを駆け抜ける。
「竹中がダンプなら松島はスポーツカー、竹中が野牛なら松島はチーター、外交的な竹中に対して寡黙な松島」
まったく対照的な2人でありながら、「トライを獲る」という一点だけは共通項だ。
その2人は、ともに優勝した高校卒業後、両者まったく別々の道へと歩を進める。
竹中は国内の筑波大学へ、松島は海外、南アフリカのアカデミーへ。対照的な2人は、その歩む道もまた対照的だった。
竹中の進んだ筑波大学は、ラグビー名門校ではない。
「強いチームに行くよりも、まだ勝っていないところに行って、仲間と一緒にチームを強くするのが好きなんです」と竹中。
「常に謙虚な姿勢をもて」と育てられた竹中は、周りの人々に対しても実に謙虚。「日本代表の中にも、僕が生まれるよりも前からラグビーをやっている人もいれば、僕がラグビーを始める前から代表に入ってる人たちもたくさんいますから…」
そんな謙虚な竹中の体躯は「才能の塊」。中学時代には陸上100m走で全国大会に出場し、立ち幅跳びでも3mを跳ぶ。日本代表の監督は「これだけポテンシャルのある選手は初めて」と舌を巻く。
一方の松島は、「自分が強くなれるところ」を選んだ。それが世界で最もフィジカルの激しいラグビーを行うという、強豪シャークスのアカデミー部門だ。日本の企業チームに入れば、給料をもらってラグビーができる。だが、松島の選んだのは、自分でお金を払ってラグビーを勉強する場だった。
「もちろん南アでラグビーやるのはキツイです。でも、若い時にキツイことをやらないと…」
松島の父親は南アフリカ人であり、彼自身もその強靭かつしなやかな体躯を受け継いでいる。しかし、南アの周りの猛者たちはもっと腕っ節が強く、不屈の闘志を持っている。さすがの松島も、最初は圧倒され、ケガを繰り返す負の連鎖に陥ってしまったという。
それでも今は、「自分のどこかが周りよりも劣っているとは全然思いません」とタフな成長を見せている。
2019年、今から7年後に日本ではラグビーW杯が開催される。
その日本代表を支えるであろう若手たちは、竹中や松島たちである。彼らの他にも「日本ラグビーの歴史でも特筆すべき才能」がひしめき合っているという。
竹中と松島は、今は己の信じる別々の道を歩いているものの、7年後のW杯においては、ほかの仲間たちと同様、同じ日の丸を背負い、同じグラウンドに立つことになる。
そして、「トライを獲る」という一つの共通項に向かって突き進むのだ…!
出典:Sports Graphic Number 2012年 9/27号
「2019年W杯への希望 『再び同じグラウンドで戦う日まで』」
0 件のコメント:
コメントを投稿